鏑木清方「春夏秋冬の美しい暮らしを描く」
「横浜[出前]美術館」 ―戸塚区編―
現在、大規模改修工事のため長期休館中の横浜美術館。
お休みのあいだ、横浜美術館の学芸員やエデュケーター(教育普及担当)が美術館をとびだして、レクチャーや創作体験などを市内各地におとどけする「横浜[出前]美術館」!
第6弾は、横浜市戸塚区民文化センターさくらプラザに、学芸員によるレクチャー「鏑木清方の春夏秋冬」をお届け!その様子をレポートします。
そのほか、18区の魅力を発見する「みんなに伝えたい!わたしの街のいいところ」、18区ゆかりの所蔵作品や作家をご紹介する「横浜美術館コレクション×18区」の特集もお楽しみください。
失われゆく時代風俗を愛し、四季の生活を描く。
今回、会場となったのは、横浜市戸塚区民文化センターさくらプラザ。
戸塚区総合庁舎の3-4階にあり、ギャラリー、ホール、練習室、リハーサル室があります。コンサートなどを主催しているほか、貸出施設としても多くの市民の方に親しまれていますが、その魅力はなんと言ってもアクセスの良さ。JR戸塚駅とブリッジで直結しているため、雨でも傘をささずに訪れることができるのです。
4階のホール入口脇の壁には、英泉作「東海道五拾三駅名所古跡略記道中双六」(木版画)に取材した「Totsuka宿」のステンドグラスが輝きを放ち、訪れる人を豊かな気持ちで包んでくれます。
講座では、鏑木清方の足跡をたどりつつ、代表作や所蔵品を中心に、清方の女性像にみる四季の表現と、金沢八景に構えた別荘での制作と暮らしぶりを紹介しました。
清方は自宅の庭に草木を植えて四季のうつろいを楽しんでいましたが、中でも特に親しんだのが紫陽花です。泉鏡花の短編小説『紫陽花』の幻想的な世界にも惹きつけられ、「紫陽花舎(あじさいのや)」という別号を持つほどに魅了されていました。晩年を過ごした住居跡に建つ鎌倉市鏑木清方記念美術館の庭では、紫陽花をはじめ清方が愛した四季折々の草花を見ることもできます。
東京神田に生まれ江戸っ子として育った清方が、少年時代に魅了された風景に想いを馳せて描いたのが、近年まで長らく所在不明で「幻の作品」ともいわれた《築地明石町》です。美人画の名手として知られる清方ですが、本人はただ単に、顔立ちや着物姿が美しい女性を描こうとしたわけではありません。幼い頃に美しいと感じた季節のうつろい、人々の生活や風俗など、時代とともに消えてゆく風景に一抹の寂しさを感じ、それらを残すことに使命のようなものを感じて、絵の中に留めました。
《春のななくさ》の冬、《春宵怨》の春、《夕河原》の夏(いずれも横浜美術館所蔵)、《虫の音》の秋(鎌倉市鏑木清方記念美術館所蔵)。清方の作品には、そこに描かれた人物のよそおいや、風俗、情景を通じて、季節と時代のうつろいが感じられます。
代表作として知られる三部作《築地明石町》《新富町》《浜町河岸》(いずれも東京国立近代美術館所蔵)は、3月18日から東京国立近代美術館で開催されている「没後50年 鏑木清方展」で展示されます。
大切な家族と過ごした、金沢八景の夏時間
1920年、清方は長年憧れていた金沢八景に別荘を構え、ここで家族と夏休みを過ごすようになりました。《金沢絵日記》(鎌倉市鏑木清方記念美術館所蔵)には、愛する家族と過ごす時間やささやかな出来事などが、淡い水彩と素早い筆で描かれています。
金沢八景滞在時は早朝の散歩を日課としていましたが、《朝涼》(鎌倉市鏑木清方記念美術館所蔵)は長女・清子と出かけた時の情景を描いた作品です。当時、清方は帝国美術院展覧会の審査員を務めるなど多忙を極めており、自分はこれからどんな絵を描くべきか悩んでいた時期でした。そんな中、大切な長女を飾らない等身大で描くことで、自分を取り戻すことができました。
金沢八景では、数は多くはありませんが、風景画も残しました。風景を描く際にも、どこかに愛らしい人物を添えるのが清方ならでは。「風景といっても、人間の生活が伴わない風景は私には死物のように冷ややかで親しみにくい」という本人の言葉にもあるように、清方にとってはそこに人の生活があることが何より大切だったのです。
*新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、ガイドラインを遵守した対策を講じた上で実施しています。
18区の魅力発見! 講座参加者の皆さんにきいた「みんなに伝えたい!わたしの街のいいところ」
横浜のことを知っているのは、よく訪れたり、住んでいる方々!
講座参加者の皆さんの声から戸塚区の魅力をご紹介します。
宿場町の面影を残しながらも、住みやすい街に進化する戸塚区。
●最近の駅付近の開発状況の良さ(泉区在住、60代)
●自然豊か、ゴルフ場が多い(横浜市外在住、60代)
●気取らないところ(戸塚区在住、70代)
●一度しか行ってないですがトツカーナの骨董市は出店数が多くて面白そうです。目当ての物を探して駆け足をしただけなので、次の機会にはゆっくり見てみたく思っています(港南区在住、70代)
●鎌倉文化と田舎が共存する地(中区在住、70代)
●戸塚宿の面影が偲ばれる場所があり歴史を感じさせること(中区在住、70代)
●東海道の宿場町の名残は他の宿場に比べて少ないものの、古刹や歴史を紹介する看板があるところ(戸塚区在住、20代)
●これからの季節、柏尾川沿いの桜が楽しめます(戸塚区在住、70代)
「横浜美術館コレクション×18区」
当館のコレクション(所蔵作品)の中から、横浜市内18区ゆかりの作品や作家をご紹介します。
幕末のイギリス人写真家・フェリーチェ・ベアトがみた戸塚。
―カラー写真?絵画?どちらも違う「手彩色」写真とは―
フェリーチェ・ベアトは、イタリア生まれのイギリス人。幕末期の横浜で活動した写真家です。西洋伝来の写真技術で、日本の風景や風俗を数多く撮影しました。当時の横浜やその近郊を伝える写真もあります。そこには、記録への意識だけでなく、写真家としてのベアト特有の美意識が表れています。
これは、150年ほど前の戸塚。白黒の写真にあとから手描きで色を差す、「手彩色」と呼ばれる手法によるものです。横浜美術館は、この写真と同じ白黒写真を収めたアルバムも収蔵しています。そこには、ベアトと別の人による英語の説明書きがあります。「Totska(戸塚)」は、「神奈川から藤沢までのほぼ中ほどにある細長い村」と記されています。
カラー写真に慣れていると、白黒に敢えて色を付けた写真は、微妙な不自然さが感じられるでしょう。手彩色は、白黒の写真を別物の絵画に変えるような不思議さがあります。
――みなさんもぜひ戸塚区を訪れてみてくださいね――
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