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アトリエに残された息遣いと痕跡

横浜美術館

横浜美術館のコレクション(所蔵作品)の中には横浜市内18区と関連する作品があるのをご存知ですか?

横浜の風景が描かれた作品、横浜出身の作家や横浜を拠点に制作活動にはげんだ作家の作品など、数多く所蔵しています。

今回は、神奈川区ゆかりの作品、井上信道の《思い出(作品A)》についてご紹介します。

井上信道《思い出(作品A)》1960(昭和35)年頃
高さ130.0 x 幅30.0 x 奥行き27.0 cm 横浜美術館蔵(作家寄贈)

井上信道(1909-2008年)は1975年に横浜文化賞を受賞した横浜ゆかりの彫刻家です。市内ではフランス山公園や中区市役所などで彼の公共彫刻を見ることができます。当館では裸婦が両腕と両脚を交差させて立つ《思い出(作品A)》(1960年頃)など、いずれも人間をモデルとした井上の作品を4点所蔵しています。

長らく井上は神奈川区にアトリエを構え、制作の拠点としました。いまも残るアトリエは、中央にテーブルと椅子があり、その周りを井上の手による彫刻や彼の収集した焼き物のコレクション等が取り囲んでいます。当初は家族の集うサロンとして建てられたそうですが、かつてここで制作し、また芸術家らと交流した井上の息遣いが感じられる空間です。井上の没後は、ご自身もまた美術家である妻の井上寛子さんと娘の大野静子さんがその保存活動に尽力されています。

アトリエ
2022年4月26日 撮影:横浜美術館学芸員 南島興

アトリエには様々な歴史が刻まれていますが、なかでも避けては通れない出来事があります。それは戦災です。

ときは1945年5月29日。横浜は大量の米軍機B29の空襲にみまわれました。このアトリエも例外ではありませんでした。焼夷弾が天井を貫き、室内は炎の渦に包まれたといいます。井上自身は全身に火傷を負いながらも庭の水溜めに飛び込み、妻の寛子は子である静子をぐっと抱きかかえて、家の中で堪え凌ぎました。焼夷弾の痕跡はその補修の上からも見てとることができます。

現在、神奈川県庁本庁舎内に設置されている彫刻作品《神奈川非核兵器県宣言記念碑》(1988年)には、こうした経験が反映されています。女性が左腕で赤子を抱えて一歩前に踏み出し、右腕を横に力強く伸ばして何かを制しています。それは戦火からひとりで子を守ろうとした母の姿でしょう。ここでは母子像がただ象徴として戦後の「平和」や「反戦」を示すモチーフになっているわけでありません。その着想源には、アトリエを襲った、焼夷弾による空襲のなかを生き延びた母子の力強い姿があるのです。

井上信道《神奈川非核兵器県宣言記念碑》1988(昭和63)年
2022年11月10日 撮影:横浜美術館

市内に点在する井上の人物彫刻たち。その前を通り過ぎるとき、人々がそれぞれの作品のつくられた背景にまで想像を巡らせることはそう多くないかもしれません。けれど県庁内の記念碑がそうであったように、そこには私たちが想像するよりもはるかに身に迫る経験が隠されているのです。かつての具体的な出来事の記憶は、主人を失ったいまでもなお、彫刻のなかに生き続けています。

横浜美術館では、《思い出(作品A)》のほかにも、井上信道の作品を所蔵しています。ほかの作品について知りたいと思ったかたは「コレクション検索」をチェックしてみてくださいね。

▶これまでの「横浜美術館コレクション×18区」はこちら

横浜美術館スタッフが18区津々浦々にアートをお届け!「横浜[出前]美術館」

現在、大規模改修工事のため、長期休館中の横浜美術館。
お休みのあいだ、学芸員やエデュケーター(教育普及担当)が美術館をとびだして、レクチャーや創作体験などを市内各地におとどけする「横浜[出前]美術館」!その様子をレポートします。

第13弾は、神奈川区の横浜市神奈川区民文化センター かなっくホールにうかがい、エデュケーターによるレクチャー「アートでめぐる横浜の街ー神奈川区編ー」を開催しました。

あわせて、18区の魅力を発見する、講座参加者の皆さんにきいた「みんなに伝えたい!わたしの街のいいところ」もぜひご覧ください。

▶「アートでめぐる横浜18区」神奈川区編
●神奈川区ゆかりの作家・石渡江逸いしわたこういつとその時代

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