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神奈川区ゆかりの作家・石渡江逸とその時代

横浜美術館

「横浜[出前]美術館」–神奈川区編–

現在、大規模改修工事のため長期休館中の横浜美術館。
お休みのあいだ、横浜美術館の学芸員やエデュケーター(教育普及担当)が美術館をとびだして、レクチャーや創作体験などを市内各地におとどけする「横浜[出前]美術館」!

第13弾は、神奈川区の横浜市神奈川区民文化センターかなっくホールに、レクチャー「アートでめぐる横浜の街−神奈川区編−」をお届け!その様子をお伝えします。そのほか、18区の魅力を発見する「みんなに伝えたい!わたしの街のいいところ」、18区ゆかりの所蔵作品や作家をご紹介する「横浜美術館コレクション×18区」の特集もお楽しみください。

石渡江逸いしわたこういつが描いた風景の「現在」を歩き、時代を感じる

講座名:「アートでめぐる横浜の街−神奈川区編−」
開催日時:2022年10月22日(土) 13時30分~15時
開催場所:横浜市神奈川区民文化センターかなっくホール
講師:横浜美術館エデュケーター(教育普及担当)
対象:12歳以上
参加人数:31名

今回、会場となったのは、神奈川区にある横浜市神奈川区民センターかなっくホール。
JR東神奈川駅/京浜急行東神奈川駅(旧・仲木戸駅)から連絡橋「かなっくウォーク」を渡って徒歩1分。駅ビルの商業施設に直結した便利な環境にあり、フルコンサートピアノを備えた300席のホール、絵画や写真など美術作品の発表に適したギャラリー、室内楽や声楽の練習に適した練習室などが入る文化施設です。「[出前]美術館」は、楽器演奏やダンスなどの小規模な公演や練習にも利用できる「音楽ルーム」で開催しました。

講座は、まず神奈川区ゆかりの作家・石渡江逸いしわたこういつの作品を紹介し、それが描かれた場所や時代について、皆さんの意見をうかがうことからスタートしました。
はじめに提示されたのは、石渡江逸《(横浜神奈川町)浦島寺》。

「この作品には何が描かれていますか」
エデュケーターの問いかけに、会場からは「焼き栗屋さん」「お寺の石碑の足元の亀」「子供のエプロン」「空と雲」など様々な声があがりました。こうして作品をじっくりみて気づきを得ることは、作品鑑賞の入口なんですね。
続いて、江逸の作品5点を拡大印刷したパネルをご用意。近くでじっくりみて、どんなものが描かれているのか、気づいたことを一人ひとり付箋に書き出してもらいます。

今回ご覧いただいた作品は次の5点。付箋に書かれたポイントは、描かれている人の服装、店先に並ぶ野菜、建物の特徴、季節、天気、光と影など実に様々で、一人ひとりオリジナルな着眼点があるようです。

左:《神奈川相應寺横町 夜店》
右:《(横浜神奈川町)浦島寺》
左:《神奈川子安町所見(八百屋の店)》
中:《(神楽)子安一の宮神社》
右:《(神奈川子安浜所見)床場》

これら5点はすべて神奈川区を描いた作品で、実際の場所についてもほぼ特定されています。そこで、オンライン上のストリートビュー機能を使って「浦島寺(慶運寺)」「横浜一之宮神社」「相應寺」へ、バーチャル散歩。作品に描かれた場所の、現在の様子をご覧いただきました。区内在住・在勤の方には馴染み深い場所だったようで、会場には思い出やエピソードが飛び交い、雰囲気が和んでいきます。

続いて、これらの作品が描かれた時代と江逸についてご紹介。
5点はいずれも、江逸が1931年に発表した作品です。横浜港が開港し、西洋文化が流入し始めて70年ほどたったころでしょうか。第一次世界大戦、関東大震災を乗り越え、第二次世界大戦の前夜、満州事変が起こった年です。暮らしの中では、1925年にラジオ放送開始、1927年に日本初の地下鉄(上野―浅草)が開通。電灯の普及も急速に進むなど、近代化への過渡期を迎えた時代といえます。

横浜では、1921年に野澤屋(のちの松坂屋)の新館が伊勢佐木町にオープンします。そして1897年生まれの江逸(本名:庄一郎)は、1930年まで野澤屋の図案部にグラフィックデザイナーとして勤務していました。浮世絵師の一族だった義兄から染色図案の手ほどきを受け、野澤屋に就職する前には日本画も習得していたようです。退職後は木版画家を志して旅情豊かな風景版画で知られる川瀬巴水かわせはすいに師事。子安町・入江町など自宅周辺を多く描き、1931〜32年には新版画を主導した版元である渡邊版画店(現在の渡邊木版美術画舗)から木版画を出版しました。

新版画運動は、写真や印刷技術の普及とともに浮世絵版画が衰退した中で、大正初期にはじまり、昭和前期にかけて多くの作品が制作されました。絵師・彫師・摺師がそれぞれ磨いてきた伝統的な技術を継承しながらも、新しい時代にふさわしい新しい表現を標榜。例えば、浮世絵版画では、ばれん(版木の絵の具を紙へ転写させる刷り道具)の跡を残さずフラットに摺ることが高い技術の証でしたが、新版画では、ばれんの跡をあえて残す「ざら摺り」も表現のひとつとされました。

浮世絵版画が江戸庶民の楽しみという性格が強いのに対し、新版画は作品として鑑賞されることを意識して作られていました。当時から海外コレクターも多く、近年ではスティーブ・ジョブスが新版画のファンだったことは有名で、江逸の師である川瀬巴水の作品も収集していたそうです。

川瀬巴水 《東京二十景 芝増上寺》 1925(大正14) 年
木版 画面36.3X24.2cm 横浜美術館蔵

以上のような情報を頭に入れた上で、改めて作品をみてみると、新しく気づくことがあるようです。会場からは「光と影のコントラストに川瀬巴水の影響を感じる」「1931年ごろの家族の在り方、人の集い方がわかる」といった声があがるとともに、作品の舞台となった場所の詳細を特定しようとする提案が相次ぎ、大いに盛り上がりました。

最後に行われた質疑応答でも様々な声が寄せられたので、ピックアップしてご紹介します。

Q.石渡江逸は1897〜1987年と長生きしたのに、新版画を制作したのは1931-32年だけ?
A.そうなんです。1932年以降はシルクスクリーンなど別な技法による作品を手がけたり、企業の印刷機の開発に携わったり、デザイナーとして商品の包装紙を手がけるなど、マルチな才能を発揮したようです。詳しくは横浜美術館の学芸員・片多祐子による紀要『石渡庄一郎(江逸)研究:新収蔵作品を中心に』をご覧ください。

Q.浮世絵版画は絵師だけが有名ですが、実際には版元と絵師・彫師・摺師の分業体制でした。新版画はどうなのでしょう?
A.新版画も浮世絵版画と同様、分業が基本です。彫りや摺りにこだわりの強い人はいたようですが、江逸は専門の「絵師」と理解しています。「ざら摺り」などの技法は版元である渡邊版画店の特徴で、師匠の巴水の作品にもみることができます。

ちなみに、新版画に少し先がけて「創作版画」という運動も興っています。これは描いた人が自ら彫り、摺ることが基本でした。

今回ご紹介した作品は、すべて横浜美術館で所蔵しています。リニューアルオープン後はコレクション展などで展示される機会があると思いますので、ぜひ実物をみにきてください!

*新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、ガイドラインを遵守した対策を講じた上で実施しています。

▶︎「横浜[出前]美術館」開催予定の講座はこちら

18区の魅力発見! 講座参加者の皆さんにきいた「みんなに伝えたい!わたしの街のいいところ」

横浜のことを知っているのは、よく訪れたり、住んでいる方々!
講座参加者の皆さんの声から神奈川区の魅力をご紹介します。

歴史のある宿場町であり、今も残る子安浜のアナゴ漁、
京浜工業地帯や近年の街並みなど様々な顔をもっている町。

●東海道五十三次の宿場町、BAYQUARTERなど、素敵な港街(神奈川区在住、60代)
●「浦島太郎伝説」がある(神奈川区在住、50代)
●古きや新しきを訪ねて街歩きをしたくなるような魅力がある街(神奈川区在住、70代)
●交通が便利(緑区在住、50代)
●六角橋商店街(港北区在住、60代)
●神奈川宿など歴史を感じる街(港南区在住、70代)
●横浜開港時の領事館跡、京浜工業地帯、穴子漁を営む子安浜、近年のマンション群など色々な顔を併せ持つ町、神奈川区(神奈川区在住、60代)
●旧東海道を思わせる道に浦島伝説ゆかりの寺や立て看板、歴史的建造物もあり、おすすめです(港南区在住、50代)
●開放的(横浜市外在住、60代)
●海と山があり開港の歴史を担っている魅力の場所(神奈川区在住、70代)
●横浜市内有数の農地があり、野菜、果物が採れる。海側と内陸側の対比が面白い。(中区在住、70代)
●海あり山ありで起伏に富み、一年を通して気候も比較的穏やかで、しかも東京圏にも近い立地にあり生活には、非常に便利な地域である(瀬谷区在住、70代)
●歴史のある宿場町で、幕末にはお寺に各国の領事館が置かれたり、生麦事件跡、総持寺、浦島伝説、キリンビアビレッジなど街歩きも魅力的。鶴見の「よねまんじゅう」、また機会があれば味わいたい(戸塚区在住、70代)
●ヨコハマより早く発展した神奈川。宿場町からの、昔を思い起こせる街である点が魅力のひとつです(港北区在住、50代)
●横浜市中央卸売市場は活気があって楽しいです。場外にお寿司が美味しいお店があります。市場が混んでいてもこちらなら大丈夫。築地より安くボリュームもあります(港北区在住、50代)

「横浜美術館コレクション×18区」

当館のコレクション(所蔵作品)の中から、横浜市内18区ゆかりの作品や作家をご紹介します。

井上信道《思い出(作品A)》1960(昭和35)年頃
高さ130.0 x 幅30.0 x 奥行き27.0 cm 横浜美術館蔵(作家寄贈)

アトリエに残された息遣いと痕跡

井上信道(1909-2008年)は1975年に横浜文化賞を受賞した横浜ゆかりの彫刻家です。市内ではフランス山公園や中区市役所などで彼の公共彫刻を見ることができます。当館では裸婦が両腕と両脚を交差させて立つ《思い出(作品A)》(1960年頃)など、いずれも人間をモデルとした井上の作品を4点所蔵しています。

長らく井上は神奈川区にアトリエを構え、制作の拠点としました。いまも残るアトリエは、中央にテーブルと椅子があり、その周りを井上の手による彫刻や彼の収集した焼き物のコレクション等が取り囲んでいます。当初は家族の集うサロンとして建てられたそうですが、かつてここで制作し、また芸術家らと交流した井上の息遣いが感じられる空間です。井上の没後は、ご自身もまた美術家である妻の井上寛子さんと娘の大野静子さんがその保存活動に尽力されています。

アトリエ
2022年4月26日 撮影:横浜美術館学芸員 南島興

アトリエには様々な歴史が刻まれていますが、なかでも避けては通れない出来事があります。それは戦災です。

ときは1945年5月29日。横浜は大量の米軍機B29の空襲にみまわれました。このアトリエも例外ではありませんでした。焼夷弾が天井を貫き、室内は炎の渦に包まれたといいます。井上自身は全身に火傷を負いながらも庭の水溜めに飛び込み、妻の寛子は子である静子をぐっと抱きかかえて、家の中で堪え凌ぎました。焼夷弾の痕跡はその補修の上からも見てとることができます。

現在、神奈川県庁本庁舎内に設置されている彫刻作品《神奈川非核兵器県宣言記念碑》(1988年)には、こうした経験が反映されています。女性が左腕で赤子を抱えて一歩前に踏み出し、右腕を横に力強く伸ばして何かを制しています。それは戦火からひとりで子を守ろうとした母の姿でしょう。ここでは母子像がただ象徴として戦後の「平和」や「反戦」を示すモチーフになっているわけでありません。その着想源には、アトリエを襲った、焼夷弾による空襲のなかを生き延びた母子の力強い姿があるのです。

井上信道《神奈川非核兵器県宣言記念碑》1988(昭和63)年
2022年11月10日 撮影:横浜美術館

市内に点在する井上の人物彫刻たち。その前を通り過ぎるとき、人々がそれぞれの作品のつくられた背景にまで想像を巡らせることはそう多くないかもしれません。けれど県庁内の記念碑がそうであったように、そこには私たちが想像するよりもはるかに身に迫る経験が隠されているのです。かつての具体的な出来事の記憶は、主人を失ったいまでもなお、彫刻のなかに生き続けています。

横浜美術館では、《思い出(作品A)》のほかにも、井上信道の作品を所蔵しています。ほかの作品について知りたいと思ったかたは「コレクション検索」をチェックしてみてくださいね。

――みなさんもぜひ神奈川区を訪れてみてくださいね――

これまでの「アートでめぐる横浜18区」の記事はこちら

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