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私自身が経験した「魂が震える!」という感動を伝えたい。新しい何かに出会いたいときは、美術館へ来てください!――vol.4 学芸員 大澤紗蓉子

2023年度のリニューアルオープンに向けた大規模改修工事のため、長期休館中の横浜美術館。美術館のスタッフはお休みのあいだも忙しく働いているようですが、彼らはいったい何をしているの? そもそも美術館のスタッフってどんな人?

そんな素朴なギモンにお答えするシリーズ第4弾は、展覧会の企画運営など、まさに美術館の“肝”の部分を担当する学芸員が登場。憧れだった学芸員という仕事の楽しさと辛さを、本音でお話しします!

作家本人と話し合い、展覧会を作り上げてゆく仕事が楽しい


――学芸員って、何をする人?

一般にイメージしやすい仕事としては、展覧会の企画・準備・実施です。具体的には、展覧会のテーマを決め、展示する作品を考え、作品を借りる手配をし、各作品に添える説明文を執筆し、図録を制作する、などなど。皆さんに快適に展覧会をみていただくために、作品の配置や会場のしつらえを設計するのも学芸員の仕事です。

また、表からは見えませんが、大きな仕事として「美術作品の管理」があります。展示室や収蔵庫は、365日24時間、定められた温湿度を保つことが重要です。基本的には設備部門のスタッフが管理していますが、展覧会中などは特に変動リスクが大きいので、学芸員も毎日チェックを行います。収蔵庫の作品も折に触れて状態をチェックし、経年劣化などがみられた場合は修復の手配を行います。

――大澤さんがいちばん好きな仕事は?

展覧会を作ることです。現存する作家であれば、ご本人と作品について話し合い、どの作品をどのように皆さんにおみせするかを決めてゆく。そんな展覧会を作り上げていくプロセスが、何より楽しいと感じています。

学芸員を目指したのも、写真史を学んだのも、ほんの偶然


――なぜ学芸員に?

母の影響が大きいですね。もともと美術好きな人なのですが、ある日、近くの美術館で行われた講座に参加して「学芸員さんの話がすごく面白かった」と話してくれました。私が「学芸員」という仕事を知ったのは、まさにその時です。なぜだかすごく興味をひかれて、高校の進路選択で「学芸員になるために、展覧会作りを学べる美大へ行く」と宣言しました。

――「美術作品」にはいろいろありますが、大澤さんの専門は?

私の専門は「写真」です。1989年開館の横浜美術館は、写真部門を持つ美術館としては日本国内で先駆けのひとつといえる存在であり、私がここにいる理由もそこにあります。

ただ、私が写真を選んだのは偶然でした。受験勉強のために通っていた図書館で、ロバート・キャパや沢田教一の写真集を目にして「一枚の写真にはものすごい情報量が圧縮されているんだ」と興味を持ったんです。写真といえば「写ルンです」や「プリクラ」くらいしか思い浮かばなかった当時の私にとって、これは衝撃的な出会いで(笑)、美大に合格した後は写真史を学びました。

――学芸員はそれぞれの専門領域で仕事をする?

横浜美術館には学芸員が10人以上おり、それぞれが得意分野を持っています。例えば、作品管理においては、こうした各自の専門性が問われます。油彩画と日本画では画材が異なるし、写真はまた違った知識が必要なので、作品修復などではそれぞれ担当の学芸員が責任を持って実施内容を検討します。

その一方、主に展覧会の仕事では、学芸員は分野に捉われることなく活動しています。今の美術界ではいろんな表現、コンセプトで制作が行われているので、学芸員も自分の専門分野にとらわれることなく作家や作品に目を向けることが必要だと感じています。実際、今回私が担当した「New Artist Picks」というプログラムで仕事をした村上早さんは、写真ではなく銅版画を主とする作家さんです。

村上早|Stray Child 横浜美術館前仮囲いで展開中!


――横浜美術館前仮囲いで展開中の企画は、大澤さんの担当?


はい。2007年から続いている若手作家を紹介する企画「New Artist Picks」の特別版です。工事現場の仮囲いを壁に見立てた「ウォール・プロジェクト」と名付けて、銅版画家の村上早(むらかみ・さき)さんを取り上げました。

今回は通常の展示室ではなく、作品を大きく引き伸ばして仮囲いに掲出する特殊な展開をしました。村上さんの作品の世界観があるので、まずは公園に面した場所に作品のイメージを出すことについて、ご本人のお考えをうかがうことからスタートしました。今の社会状況や本人の関心事、私が観てくださる方に示したいことなどを話し合い、作品を選び、新作を制作してもらいました。

 村上早《まよいご》2022(令和4)年
リフトグランド・エッチング、アクアチント、スピットバイト/h. 118×w. 150cm
撮影:末正真礼生


村上さんの作品には、自身の心の傷と向かい合い、自分が救われるために制作する、というプロセスがあります。コロナ禍で多くの人が心身ともに窮屈で辛い時期を過ごしている現在、心の傷や痛みと向き合う村上さんの作品を目にして、「同じような思いを抱えている人がいるんだ」と感じてくれたらいいな、と。辛い気持ちに気づき、他人と共感しあうことで、心が少し軽くなるような作用がある。たくさんの人には届かなくても、一人でもこうした要素を感じ取ってくれたらと思い、企画しました。

――学芸員の仕事は楽しい?

はい、やりがいを感じています。と同時に、難しい仕事とも思っています。
私はたくさんの美術作品に触れ「魂が震える!」という経験をたくさんしてきました。学芸員としての私の仕事は、そんな思いや経験を「言葉」にして皆さんに伝えることだと思っています。でも、作品を自分なりに消化・解釈して言葉を生み出すには時間がかかるんです。それは実際にやってみないと気づかないことでした。

美術館は、新しいことに出会い、魂が震える「特別な場所」


――休館中はどんな仕事をしているの?


まず、リニューアルオープン後の展覧会を、館長含め学芸員一丸となって準備中です。また、グランモール公園に面したスペースに、新たにガラス張りの展示室が誕生する予定なので、その活用についても検討を進めています。

一方で、学芸員としては作品研究も重要な仕事です。横浜美術館では毎年『横浜美術館研究紀要』を発行していますが、私は先日発行された第23号に【研究ノート】として「1920-40年代の在米日本人写真家たちに関する基礎調査─日本人カメラ・ピクトリアリスト・オブ・カリフォルニアに関する概要と年表」を発表しました。他の学芸員も、それぞれの活動の報告や研究を発表しています。横浜美術館のウェブサイトでは近年の紀要のPDFを公開しており、自由にダウンロードできるので、横浜美術館の活動や作品に関心のある方々に活用していただけることを願っています。

――大澤さんにとって美術館とはどんな場所?

「特別な場所」だと思っています。私自身、美術館でたくさんの美術作品に出会い、魂が震えるような経験をしてきました。ただ、誰もが同じように美術館で特別な感動を経験できるわけではないし、1回行っただけで美術が「解かる」ものではないと思っています。でも、例えば「新しいことを知りたい」「気分を変えたい」と思ったときに行く場所として、美術館は選択肢のひとつに入ると思います。気が向いた時に足を運び、気になった作品をみていくと、自分の中で何かが培われていく…かもしれません。そのために私たちは準備を整えて待っているので「いつでも来てください!」とお伝えしたいです。

大澤 紗蓉子(おおさわ・さよこ)
群馬県生まれ。多摩美術大学大学院を修了後、東京都写真美術館インターンを経て、横浜美術館学芸員に。担当した主な展覧会は「ヨコハマトリエンナーレ2014」「荒木悠展|複製神殿」「石内 都 肌理と写真」「Meet the Collection ―アートと人と、美術館」など。現在開催中の「村上早|Stray Child」も担当。リニューアル後も魅力的な企画を届けられるよう精進中。

<わたしの仕事のおとも>

(上から時計回りに)ニトリル手袋、作品点検用ライト、30度カッター(別名・デザインカッター)、メジャー(センチ/インチ両用)、鉛筆、LEDライト付ルーペ。学芸員の必需品。革カバー付きメジャー、スタイリッシュな鉛筆など、仕事道具のデザインにもこだわりが。

<わたしの推し!横浜美術館コレクション>

福山秀治《ミルク瓶のふた》1930-35年頃
横浜美術館蔵(荒木田愛彦氏寄贈)

戦前に横浜〜サンフランシスコ航路の船長を勤めていた方のご遺族から、2018年にご寄贈いただいた作品です。目にした瞬間「ビビーン!」ときました。作者は第二次世界大戦前にアメリカに渡った日系移民で、アマチュア写真家としてアメリカや日本で作品を発表していました。おそらく、作者あるいは作者の友人が、乗船した船の船長にこの作品を贈ったものと推定しています。紀要ではこの写真にまつわる事項を書きました。
ちなみに、コレクション展で展示したところ、少年の後方の影が天使の羽のようにみえるため、「受胎告知をモチーフにしているのでは?」とTwitterで話題になりました。


vol.1 「施設担当 坂口周平編」、vol.2「コーディネーター 庄司尚子編」、vol.3「鑑賞教育エデュケーター 古藤陽編」もぜひご覧ください!